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2021年10月 3日 (日)

【阪急】今津線 西宮北口~阪神国道間のプレートガーダー式高架橋の出自

間もなく開業100周年を迎える、阪急今津線の西宮北口~阪神国道間ですが、JR東海道本線跨線橋以南は、20径間の上路式プレートガーダー式高架橋になっています。

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高架橋を走る C#6020×3R (2021年4月25日)

特に下に川が流れている訳でもないこの区間がプレートガーダー式の高架橋となっているのは、跨線橋から北側(西宮北口方)の高架橋がコンクリートラーメン構造である事を見ると、技術的には非常に特異です。

この鋼桁ですが、近年の塗り替えで製造銘板が転写シールにより再現されており、非常に見やすくなっています。

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駅ホーム部分の桁 (2018年5月4日)

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製造銘板の拡大 (2018年5月4日)

銘板によると、この桁の製造は明治42年(1909年)、大阪の汽車製造合資會社製で、今津線の開業(大正15年、1926年)と比べて17年も前になります。1909年と言うと、箕面有馬電気軌道の開業(明治43年、1910年)よりも前ですから、将来的な新線の建設に向けて予め桁を準備していたとは考えられません。むしろ今津線の建設当時に既にあった桁を有効活用して、建設費を抑えようという意図があった可能性が高いように考えられます。

そこで今から3年ほど前、この鋼桁の出自について、いくつか仮説を立てて調べてみたことがあります。

① 鉄道院・鉄道省からの、不要桁の払い下げ

全国で新線の建設が進められ、鉄道草創期に架設された橋梁の架け替えなどで転用先には困らなかったはずの当時、製作後十数年という新しい桁を払い下げる可能性は、ちょっと考えにくいです。

② 阪鶴鉄道 池田~大阪間支線からの転用

猪名川を渡るのに丁度位の橋梁長から可能性を考えましたが、計画は建設が具体化するまでに至っていなかったはずですし、阪鶴鉄道が国有化される年の製作ですから、これも否定できると思われます。

③ 神戸本線 武庫川橋梁からの転用

これも橋梁長が近いのと、大正年間に武庫川の河川改修工事が行われた事から発想しましたが、神戸線の計画が決まるまでに当該区間の河川改修工事は完成していたようなので、これも否定できそうです。

④ 旧中津川への架設予定桁の転用

現在の淀川(新淀川)は1898年(明治31年)から1910年(明治43年)に掛けて開削されましたが、その前には、今の十三付近に中津川という淀川の支流が流れていました(参考資料1)

すなわち、1907年に箕面有馬電気軌道が設立され、宝塚線の工事が始まった頃にはまだ残っていた可能性がある中津川に架設するための桁が発注された。しかし新淀川開削の進捗で架設前に中津川は廃川となり、現在の淀川橋梁が架けられた。その時既に発注をキャンセルできなかったため、やむを得ず社内で保管し、有効活用するため今津線に転用したと言う仮説です。

参考資料に掲載された1909年(明治42年)の地形図を見ると、淀川橋梁付近の河道は既に新淀川に移っていますが、すぐ下流にはまだ旧河道も残っています。橋梁長は近いように見えますが、時期的にはこの説が成り立つのかどうか、なかなか微妙なところです。

⑤ 宝塚本線新淀川橋梁の架け替えで発生した桁が転用された

推理は以下の通り

  1. 宝塚本線の新淀川橋梁は、建設時にはトラス桁は無く、プレートガーダーのみで構成されていた。
  2. 淀川は明治末の改修工事完成後も何度か氾濫を起こし、更なる対策が求められていた。
  3. そのため箕面有馬電気軌道→阪神急行電鉄では、当時河川及び軌道の監督を行っていた内務省から、神戸本線用橋梁の建設にあたり河積阻害率を低下させるよう求められた。
  4. そこで阪神急行電鉄では、複々線化工事に合わせて橋梁の中央部分をトラス桁に変更し、径間長を伸ばす事とした。
  5. 既設橋梁の改築に当たっては、先に神戸本線用の橋梁を新設して線路を切り替え、既設のプレートガーダーを撤去の上、トラス桁を架設した。
  6. 撤去されたプレートガーダーは、ほぼ同時期に計画・建設が進められていた今津線の高架橋に転用し、建設費用の圧縮を図った。

なお参考資料2 『歴史的鋼橋集覧』によると、新淀川橋梁の橋長668mに対しトラス桁は100ft×10連=340mで、一方今津線高架橋は250m程度ですから、転用には充分です。むしろ余りますので、その分は後の宝塚本線の大型車両対応化工事などに転用された可能性があるのではないかと思います。

 

その後図書館で借りた「京阪神急行電鉄五十年史」(参考資料4)で関連の記述を探したところ、私の仮説⑤を直接的に裏付ける文言こそありませんでしたが、否定する記述も無い事が分かりました。以下、資料を元にした考察を述べます。

① 建設当時の宝塚線新淀川橋梁について

鋼製の橋梁で、脚数は四十一、橋桁はプレートガーダーを用い、その径間は十五・二米、総数四十二径間とし』(P38~39)とありますので、当初は全てプレートガーダーで構成されており、現在の中央部のトラス桁は後の改築工事で架設された事が分かります。

② 淀川改修増補工事について

大正6年(1917年)の台風豪雨により新淀川の堤防が決壊したため、翌大正7年(1918年)より淀川改修増補工事が行われました(参考資料5) 上流の木津川の流量が想定を超えていたためで、それが後の神戸線橋梁の建設、宝塚線橋梁の改築に当たって、中央部にトラス桁を採用する要因となったと想像できます。

③ 新淀川橋梁の改築について

大正十一年十一月一日、先ず新淀川の新鉄橋架橋工事に着工、十三年二月六日に完成した。この直後、旧鉄橋の改修工事を開始して、高架複々線の建設準備を進めた』(P40)とあり、先に神戸線の橋梁を建設して、宝塚線を一旦そちらに切り替え、宝塚線の橋梁の改築を行った事が分かります。

④ 神戸線建設当時の財政状況について

阪神線の建設は、工費四〇〇万円を以て全線の工事を完成する予定であったが、戦時中のために諸材料が騰貴し、到底、予算通りに進捗することは困難であったにも拘わらず、ひたすら開通を急ぐことに決定して、先ず用地の買収を開始した。』(P18)とあります。

第一次世界大戦の影響ですが、神戸線開通に先だって、日本はいわゆる戦後恐慌に突入しましたから、阪神急行電鉄の財政状態もかなり悪化していたことが想像できます。現今津南線の建設が計画されていたのはその真っ只中ですから、新淀川橋梁から大量に発生する橋桁に着目し、それを高架線建設に利用しようという発想が出たのは、ごく自然なことだと思います。

以上から、仮説⑤は、ほぼ歴史的事実と相違ないのではないかと考える次第です。何しろ、わざわざシールで銘板を作り直すと言う手間を掛けている事から見て、阪急電鉄にとっては特別な由緒のある桁なのでしょう。


【参考資料】

  1. 十三のいま昔を歩こう:消えた中津川2 http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-59.html
  2. 歴史的鋼橋集覧 http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/brtop.htm
  3. 国土交通省 淀川河川事務所「大正・昭和初期の治水の取り組み」 http://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/now_and_then/taishou.html
  4. 京阪神急行電鉄五十年史(昭和34年6月30日発行)
  5. 国土交通省淀川河川事務所「大正・昭和初期の治水の取り組み」 http://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/now_and_then/taishou.html

なお参考までに、年譜等から時系列を整理しておきます。

 明治39年(1906年)
   4月28日 大阪~箕面~有馬間及び宝塚~西宮間の電気軌道敷設を申請

 明治41年(1908年)
  10月22日 大阪~池田間及び箕面支線並びに池田~宝塚間の工事施工認可

 明治42年(1909年)
   9月25日 新淀川橋梁が竣工

 明治43年(1910年)
   2月22日 大阪~宝塚間と箕面支線が竣工

 大正3年(1914年)
   7月28日 第一次世界大戦が始まる

 大正5年(1916年)
  10月10日 阪神直通線の工事を開始

 大正6年(1917年)
  10月 1日 新淀川と神崎川の堤防が決壊。十三~三国間の軌道が15日にわたり浸水

 大正7年(1918年)
  11月11日 第一次世界大戦が終結

 大正9年(1920年)
   7月16日 神戸本線及び伊丹支線の営業を開始

 大正11年(1922年)
   6月 8日 神戸線梅田~十三間高架線建設認可
  11月 1日 新淀川神戸線鉄橋の工事に着手

 大正13年(1924年)
   2月 6日 新淀川神戸線鉄橋が竣工
   6月12日 新淀川神戸線鉄橋が開通
  12月27日 大阪市内高架線工事に着手

 大正15年(1926年)
   5月 5日 宝塚線新淀川橋梁改築工事が竣工
  12月18日 西宮~今津間が開通。西宝線を今津線と改称

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